主にイネ科の植物に感染する子嚢菌の一種である「麦角菌」。強い毒性を持つアルカロイドを生成し、誤って人の身体に入り込んでしまうと、循環器系や神経系にさまざまな悪影響を与えます。
日本では麦角菌による被害はほとんど報告されていませんが、中世ヨーロッパやアメリカでは麦角菌に汚染されたライ麦を使用したパンなどを食べて中毒者が出る被害が報告された事例もあり、歴史的事件へと発展したケースもあります。
この記事では麦角菌とは何か、感染する植物や人体に与える影響についてどのようなものがあるかについてご紹介します。
麦角菌とは?食品から除去できる?
麦角菌とは、主に麦などの穀物に寄生する菌の一種で、人や家畜の体内に入り込むと、健康に悪影響を及ぼすので、非常に厄介です。
麦類菌から発生するカビは熱に強いため、食品が麦類菌に犯されてしまうと、調理や加工で除去することはできません。
そのため、畜産被害や人体への被害を防ぐためには麦角菌が作物に寄生するのを防ぐしかありません。そのため、中世ヨーロッパやアメリカでは麦角菌に感染した食料を口にしたことによる被害が多数報告されています。
科名属名 | バッカクキン科バッカクキン属 |
大きさ | 長さ3㎝、幅5㎜程度 |
分布する気候区分 | 熱帯・亜熱帯 |
感染する植物 | イネ科の植物 |
特性 | 熱に強く、調理や加工の過程で死滅しない |
麦角菌は英語で何という?
麦角菌は英語で『Ergot fungus』と表記します。「fungus」は「真菌」という意味があり、「Ergot」には「麦角」という意味があります。
『Ergot fungus』と検索をかけると、麦角菌についての結果の他に、ドラッグに関するページも見つかります。
麦角菌には幻覚作用があり、欧米諸国では幻覚作用を利用して麻薬代わりに用いることもあるようです。
麦角菌の人体への影響や感染経路について
麦角菌の成長や繁殖の方法が明らかにされたのは19世紀になってからですが、麦角中毒や人体への影響は16世紀から知られています。
この項目では人への感染経路や人体への影響についてご紹介します。
麦角菌は、アルカロイドを生産する
麦角菌の核をなす箇所では、アルカロイドが生成されます。アルカロイドが人体に入り込むと、循環器系や神経系にさまざまな影響を与えます。
主な症状として、手足が壊死する、腹部につねられたような刺激を感じるなどが挙げられます。その痛みは凄まじく、転げまわるほどです。
主にライ麦パンを介して人間の体内に入り込む
麦角菌は、主に汚染されたライ麦を使用して作られたパンを食べてしまうことで、人間の体内に入り込みます。
16世紀のアメリカや中世ヨーロッパでは誤って食べてしまう事例が多く見受けられ、麦角中毒による騒ぎがしばしば起きています。
当時は、別の土地へ行くことで麦角菌に汚染された食物を口にせずに済むことから、転地療養や旅による治療法がとられていました。
麦角菌が原因とされている2つの歴史上事件
麦角菌の存在や麦角菌が人間の体内に入り込むことで起こる症状が解明され始めたのは16~17世紀のことで、以前は麦角菌による症状は魔女や悪魔の仕業などだと考えられていました。
この項目では、麦角菌が原因だとされている2つの歴史上の事件についてご紹介します。
聖アントニウスの火
聖アントニウスとは、3世紀にエジプトで生まれたとされるキリスト教の聖人です。悪魔に目を付けられ、病気などの苦しみを与えられて神を捨てるように脅迫されるも、それを撥ね退けて教徒であり続けたという逸話が残っています。
聖アントニウスの火というのは、中世ヨーロッパで起こった集団中毒のことです。麦角菌に汚染したライ麦パンを口にした多くの人が痙攣や呼吸困難、手足の末端への激しい痛みなどの症状に襲われ、組織が壊死する人も確認されました。
中毒に襲われた人々の様子が悪魔によって苦しめられていた聖アントニウスと重なって見えたことから、「聖アントニウスの火」と呼ばれるようになりました。
聖アントニウスを信仰すると治るとされた
当時にはまだ麦角菌に関する医学的な知識はなく、伝染病とされていた聖アントニウスの火は聖アントニウスを信仰すれば治るとされていました。
聖アントニウスゆかりの地とされたフランスのストラスブールには感染者が各地から巡礼に訪れましたが、その巡礼の途中で症状が治まる感染者がいたことが確認されています。
これは、麦角菌に汚染された作物が体内に入ることがなくなったためとされています。
セイラム魔女裁判(魔女狩り)
1692年2月~1693年5月、アメリカ・マサチューセッツ州で異常な行動を起こした村人19人が絞殺される「セイラム魔女裁判」が起こりました。
複数の少女が突然暴れるなどしたことが事の発端で、当初はヒステリーや行き過ぎた清教主義が原因ではないかとされていました。
結果として、症状が表れた女性200人あまりが魔女として告発される事態へと発展。19人が処刑され、1人が拷問で死亡、5人が獄中死しています。
セイラム魔女裁判も麦角菌が原因だった
しかし1970年代に入ると、心理学者であるLinnda Caporael氏が、セイラム魔女裁判が起こったのは麦角菌が原因だったと報告しています。
アルカロイドは循環器系や神経系に影響を及ぼすほかに、幻覚作用をもたらすことが確認されています。つまり異常な行動は麦角菌によるものだったのではないかとしているのです。
麦角菌を冬虫夏草として売る業者もいる?
冬虫夏草は子囊菌類のきのこの一種で、主に中国で漢方や薬味として使用されます。また、強壮など、健康上の作用があることで注目を集めているため、重宝されています。
冬虫夏草とは本来、オオコウモリガの幼虫に寄生する『オフィオコルディセプス・シネンシス』という菌のことです。日本では熊本県で人工培養が行われています。
しかし、日本では冬虫夏草の定義が曖昧であるため、オオコウモリガ以外の動物に寄生する菌を冬虫夏草と呼んだり、サナギタケという植物に寄生する麦角菌のことを冬虫夏草と呼んだりする業者も散見されます。
消費者から見れば非常に紛らわしいので、今後定義がしっかり確立されることが望まれます。
日本における麦角菌
日本では麦角菌に強い「米」を主食としてきた歴史があり、稲に寄生する麦角菌は見つかっていないため、家畜以外の被害報告が挙がったことはほとんどありません。
しかしながら、1943年に岩手県で多くの妊婦が流産した事件は麦角菌が原因とされています。この時の感染源は笹の実ではないかと推測されています。
麦角菌自体は現在でも日本に入り込んできており、農林水産省では健康にどれほどの影響を与えるかを把握するなどのリスク管理をおこなっています。
家庭菜園における麦角菌への対策
日本では被害報告が少なく、麦角菌にまつわる情報が非常に少なく、分からないことが多いです。
しかしながら麦や笹に感染した例はあります。麦の穂から牛の角のような黒い塊が突然出てきたり、黒いカビのような物を見つけたら、その株は食べないようにしてください。
麦角菌に限らず、野菜など家庭菜園の植物にカビが原因の病気になってしまうことは良くあります。感染している部分が少ないようであれば該当部分を取り除き、感染している部分が多いようならその株は処分しましょう。
カビが広がるとその植物は次第に枯れてしまいます。家庭菜園における一般的なカビにまつわる病気への対策(予防法)は、以下の通り。
- 土作り(植物に合ったpHに調整する)
- 水はけ(雨も含めて湿気が多すぎないか確認する)
- 日当たり(密生して風通しが悪い場合は株の間隔を広めにとる)
これらに配慮することで、カビの病気を予防できるケースもあります。心当たりがあれば工夫してみましょう。
麦角菌のまとめ
麦角菌について理解できたでしょうか。麦角菌が体内に入り込むと精神・神経症状を引き起こしたり、痛みにより一見不可解な行動を示したりするようになるため、麦角菌が解明される前は魔女や悪魔の仕業だと考えられるようになりました。
日本では古来より麦角菌に強い「米」を主食としてきたために歴史的な事件が起こったことはありませんが、麦角菌自体は日本に入り込んでいるため、農林水産省がリスク管理をおこなっています。
- 麦角菌はイネ科の植物に感染する子嚢菌の一種である
- 麦角菌が人体に入ると循環器系や神経系に悪影響をきたす
- 欧州の集団中毒やアメリカの魔女狩りは麦角菌が原因とされている
- 麦角菌を冬虫夏草と偽って販売している悪徳業者がいる
- 日本で麦角菌による被害はほとんど報告されていない
- 麦角菌自体は日本に入ってきており、農林水産省がリスク管理を行っている